2015年5月1日金曜日

「フラット」 オルガンを聞く その1

生駒大祐


記号うつくし空港の通路を蝶 田島健一

田島健一の俳句は非常にフラットである。
例えば、言葉一つ一つを繋ぐ糸の張力のようなものを考えると、
本来言葉たちの重さの違いによってそれらはバラバラであるはずなのに、
田島俳句のそれは一読不自然なほどに均一だ。
それを、僕はフラットだと表現する。

このことは、田島俳句の持つ切れの問題と深く絡む。
意味上の切れだけを俳句の切れだと考える人には、
田島俳句はしばしば不自然なものに見えるだろう。
(切れが多すぎるor少なすぎる)
掲句を「『空港の通路を蝶が飛んでいる』風景を『記号』に見立てたうえで『美しい』と表現した」
と解釈することは勿論可能だし、もしかすると自然なのかもしれない。

だが、僕はそうは読まない。

僕がこの俳句を読むとき、「うつくし」は「記号」に係り、「空港」「通路」「蝶」それぞれに係り、
さらに「の」や「を」にも係る。
もっと言えば、この句のすべての言葉同士は細い糸でうすく繋がっている。
意味や言葉そのものではなく、言葉の相互の繋がり方のほうを提示するのが、
田島俳句の目的ではないか。

フラットな糸のその純粋なうつくしさ。


「オルガン」1号 より

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