2015年5月8日金曜日

『君に目があり見開かれ』座談会を終えて

宮本佳世乃


ぱきっとした黄色の、薄くて軽い句集。
活版印刷のようなフォントの句集。
昔の少年漫画のような紙の句集。
なんだか最後に写真が入っている句集。
各章で仮名遣いが違う句集。

2月の座談会のことを思いだすと、私自身「レンアイ句集」という、
表紙の脇に書かれた白い小さいことばに、引っ張られすぎたのかなぁとも思います。
そこに衒いを感じてしまったというか。

座談会は終わってしまいましたが、わたしがいいなとおもった句は、

巻貝の殻に砂金や卒業す
紫陽花は萼でそれらは言葉なり
知らない町の吹雪のなかは知っている
ゆふぐれの蜂蜜ごしに濃き夕日
くらがりに雉のをさまるお昼どき
藻の花へこちらから雨がゆきます
貸しボート左の空が明るくて
煙ごしに祭のほとんどと逢へる
ゆく鳥の目はさきをゆく秋の空
雪雲のまはりの雲のほぐれ果つ
末黒野へ罫線入りの紙飛行機
冷えた手を載せれば摑む手であつた
谷に日のあたる時間や春の鳥

そして、短歌に焦がれているようだと感じた句も。

遠いと声が見えない春の海に来たが
また噓を君が笑つて蛾が傷む
こころ未だぬかずにあるよ花烏賊よ
ほほゑんでゐると千鳥は行つてしまふ
月は春かつての最寄駅に降りず

なかにはページ、もしくは見開き単位で読ませる向きもあったと思うんですが、
ちょっとやりすぎだなと思えるところも。
それは私が、読むうえで無意識になにかに引っ張られたというか、
コンテクストを持ち込みすぎたと言えるのかもしれない。
コンセプチュアルな句集に見せなくても、
章立てはどうするか、句の並びをどうするかなど、
「読ませるための仕掛け」はじつはいくつもできて。
まぁ、コンセプチュアルにするかどうかも含めて、そこが作り手側の醍醐味でもあるわけですが。

句集を編むのは、作者だけが経験しうる、とてもしあわせな時間ということを再認識しました。

あ、最初の話に戻ると、この句集の黄色とか、薄さとか、軽さとか、紙とか、
すべてがバランスが取れていると思ってます。

そうそう、座談会はバレンタインデーでした。なんとなく偶然を感じました。

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